はじめに:「関心を持ったら偏る」という空気
「政治の話は面倒くさい」
「関心を持ったら偏ってると思われる」
そんな空気の中で育つと、人は“政治的関心”そのものを避けるようになる。
でもそれって、ほんまに“中立”なんやろか?
僕自身、ブログを運営する中で「思想を持つと読者が離れるかも」と思ったことがある。
けど最近、その前提がひっくり返った。
🧩 無関心は育てられる──空気が思想を封じる構造
学校では政治の話は避けられ、職場では「政治的発言はNG」
SNSでは「炎上するから黙っとこう」──そんな空気が、関心を持つこと=リスクという思想を内面化させる。
結果として、無関心が“育つ”。
そしてその無関心が、政治の構造にある“ある力”を強化する。
🗳️ 無関心が組織票を強化するメカニズム
組織票とは、労働組合・業界団体・宗教団体などがまとまって投票する票のこと。
この票は、投票率が低ければ低いほど、相対的な影響力が増す。
例:10万人の有権者のうち4万人しか投票しなければ、1万人の組織票は25%の力を持つ
つまり──
無関心が広がれば広がるほど、組織票が“効く”ようになる。
そして政治は“安定的に運営”される。なぜなら、予測可能な票だけで勝てるから。
💼 ブログにおける“関心の設計”
僕のブログでは、投資・ライフスタイル・働き方などの選択肢を提示してる。
その中で「関心を持つこと」は、読者に“納得感ある選択肢”を届けるための前提やと思ってる。
投資に関心を持つことで、制度や税制の設計に気づける
働き方に関心を持つことで、社会構造の選択肢が見えてくる
政治に関心を持つことで、制度の“出口設計”が可能になる
関心を持つことは、選択肢を設計する力や。
そしてその力は、思想を持つことから始まる。
🧭 結論:無関心こそが最大の偏り
「関心を持ったら偏る」ではなく、
関心を持たないことこそが、最大の偏りやと思う。
政治に関心を持つことは、思想を持つこと。
思想を持つことは、選択肢を設計する力。
そしてその力が、民主主義を“選び直せる構造”に保つ。
ブログも同じ。思想を持つことは、読者との信頼構築。
無関心ではなく、納得感ある関心を持つことが、選択肢の設計につながる。
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