年金制度は“破綻しない”ことで終わる

──制度は続く、納得は消える。


🧠 はじめに:制度の終わり方にこそ、政治の思想が宿る

「100年安心」と言われた年金制度。
だが今、私たちが目にしているのは“安心”ではなく、“設計された終焉”である。
制度は、いきなり廃止されるのではない。
納得感を削ぎ落としながら、静かにフェードアウトするように設計されている。


① マクロ経済スライドという“思想的フェードアウト装置”

年金制度には、支給額を自動的に抑制する仕組みがある。
それが「マクロ経済スライド」──2004年に導入された、支給額の伸びを意図的に抑える装置だ。

  • 賃金や物価の上昇率から「スライド調整率」を差し引くことで、支給額の伸びを抑制
  • 調整率は、現役世代の減少率と平均寿命の伸び率から算出される
  • 結果として、物価が2%上がっても、年金は0.5%しか上がらない未来もありえる

制度は破綻しない。だが、生活者は1000円しか受け取れない未来もありえる。
それが、国家が選んだ“制度の終わらせ方”である。


② 改悪という名の“納得感の削減設計”

制度は、いきなり廃止されると反発が大きすぎる。
だからこそ、国は“改悪”という形で制度の魅力を徐々に削ぎ、納得感が下がったタイミングで終わらせるように設計している。

  • 支給開始年齢の引き上げ
  • 支給額の実質減額(スライド調整)
  • 加入義務の拡大(フリーランス・パート層への適用)

生活者は「制度が終わった」とは感じない。
だが、「思ったより増えない」「物価に追いつかない」と感じる。
それが、制度の終焉を演出する“静かな違和感”の設計。


③ 制度の設計権が“生活者”から“国家”に移っている

かつて年金制度は、「老後の安心」を生活者に提供するための仕組みだった。
しかし今、その設計権は国家にある。
目的は「制度の持続」ではなく、「財政の均衡」。
そしてその均衡は、生活者の納得感を犠牲にして達成される。

制度は続く。だが、誰も納得していない。
それが、国家が選んだ“思想的出口戦略”である。


✍️ 結論:制度は壊れない。でも、生活は壊れていく

年金制度は、マクロ経済スライドという装置を通じて、
破綻しないが、納得できない未来を設計している。

この構造を読み解けば、制度の終焉は偶然ではなく、設計された必然であることが見えてくる。
そしてそれは、税制度だけでなく、政治の思想設計とマーケティングの限界を浮き彫りにする。